どの職につくのかではなく、何をして生きるのか

新年度の上司とのキャリア面談の準備を通して、久しぶりに仕事を冷静に見つめ直すことができた気がする。

 

 

私はシステムエンジニアを職業としているカモである。

 

新年度が始まるこの時期になると、今年度何を達成したいか・どうなりたいかの成長目標を上司と面談する場がセッティングされるのである。

 

上司と面談をするとなれば、いくらやる気が無いとはいえ、多少の準備をするもの。

 

どう成長したいか。今年度だけでなく数年後、どうなっていたいのか。

 

考える。

考える。

 

そして思い始める。エンジニアとして俺は本当に成長したいのだろうか?と。

 

「”システムエンジニアとして”○○の面で成長したいです」と面談ではそれらしく述べる。

そりゃ上司も俺もシステムエンジニアですから。

 

でも。

本当にエンジニアとして成長したいのだろうか?といえばNoなのだろう。

 

こんなこと書くと、やる気もなくただ会社にいる時間をやり過ごせばいいぶら下がり人間に思われてしまうが、ぶら下がってやろうなんて気持ちがあるわけでもない。

 

もちろん成長欲がないわけじゃない。自分の人生をより良くするために成長できるのならそれに越したことはない。

・・・ないのだけれど。

 

自分の人生を振り返り、そして将来に思いを馳せて見たら、そこには”システムエンジニア”としての成長は含まれていないように感じた。

 

システムエンジニアの目指すところはいかに素晴らしいシステムを作り上げることができるかにあると思う。

しかし、素晴らしいシステム構築なんてどうでもいいと思ってしまう自分がいる。

 

本当の本当に素晴らしいものなんてできやしない、という諦めのようなものも少しあるのかもしれないが、仮にできるにしたって、そんなのどこかの誰かが作ってくれればいいと思ってしまう。

それが自分の手から生み出される必要などないように思ってしまう。

そう、カンタンに言えばしっくり来ていないのである。

 

「天職」の意味が、「この仕事こそ自分がやるべきだという実感を感じられるもの」であるならば、今の状態はその対極にあると言っていいだろう。

 

そして環境面。

システムエンジニアはIT業界全体の体質としてしょうがないのかもしれないが残業が多い。そして難しい。正直俺には荷が重いと思わなくもない。

 

そう、簡単に言えば逃げ出したいと思ってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう考えはじめると、一つの仕事にこだわっていた今までの自分がすごいちっぽけな存在に見えてきたのだった。

 

どの職につくかではなく、何をして生きるのか。

人生を捉え直した25歳の夜、と言いたいところだが、まだ何も新しい一歩を踏み出したわけでもない。

 

ぐるぐる回り始めた。