高級キーボードと物欲と。

この度、高級キーボードの代名詞、東プレのリアルフォースを購入した。

 

キーボードが2万円以上もするなんて、にわかには信じがたい。が、にわかには信じがたかったそんなキーボードも、何度か見ているうちに信じられるようになってしまった。

 

そして今、この記事を書く入力インターフェースとして僕のデスクの上に存在している。

 

やはり高いもの、最高だと言われるものはいい。何がいいかって言うと、品質が、ではない。

気分がいいのだ。

 

この気分の良さは気持ちの良さや爽快感といったポジティブなものだけではなく、若干ネガティブな要素も含んだ気分の良さである。

 

どういうことかと言うと、「このキーボードが気に入らないんだとしても、これ以上のキーボードは存在しない。ならば、気に入らない点があったとしても、それは改善のしようがないのだから諦めるほかない」という諦観から生まれる、悟りにも似た気持ちよさなのである。

悟りは気持ちがいい悪いの概念を超えた概念だとは思うが。

 

つまり「これよりもっと良いあれを手に入れたらもっと人生が良くなるのに」といった物欲や、現状を嘆く気持ちがきれいになくなるのである。

 

人生で何か気に入らないことが合ったとしても、モノのせいにすることができないので、自分の人生の責任をきちんと自分でとろうという気になるのである。

 

そして、この考えはきっとすべての物欲に当てはまるんだと思う。

 

お金がもっとあればなという考えも、実際に使い切れないほどのお金を手に入れたら、「お金があれば」という言い訳は言えなくなる。

何か気に入らないことがあっても、お金が問題なのではない。それ以外の何かが原因だということである。

 

実際には、お金を使い切れないほど持っているわけではないけれど。

日々を振り返ってみると、ついついお金のせいにしてしまっていることがたくさんあるような気がする。

 

何かの責任にしていることに気がついたら、それを解消するために何か行動を起こすか、解消したつもりで考えて見るべきなのかもしれない。

 

 

キーボードを買うだけでこんなことを考えられるのだから、2万円というのも全く高くはないのかもしれない。

 

まだ使い慣れないけれど。